好きと爆発ともどかしさ


 結局、2.21におつきあいを始めた。後1日ずれればにゃんにゃんにゃんだし、超覚えやすかったけど、まゆきちゃんの初恋記念日とおんなじだと聞いて、それも少しおしゃれなのかなと思った。わたしはよく記念日とか軽率に忘れてしまうので、しっかりと覚えておこう。


 ほんとうに、四年前から知ってる彼と付き合うことが不思議な感じで、不思議なのになんだかすごく自然で、うれしさしかこみあげてこない。マイナス思考でダメダメな私のくせに今はそこまで、不安とかでいっぱいになったりすることもなく、なんとなくなんとなく好きでしょうがない。彼が、気持ちいいというより心地いいよねとつぶやいた時に、首を10000回くらい振りたかった。そう、心地がいいのだ、まるでぬるま湯で、ゆったりと眠たくなるかのような、暖かさなのだ。ビートルズのイエスタデイを聞くと、自然と眠たく、心地よくなる、そんな感覚ととても似ている。


 それでも何か始まってしまうと、いつか終わるのでは?という疑問は絶えない。何かが始まったら、それが続き続けるか、終わりを告げるか、どちらかしかない。中途半端なんてことはあり得ないので、どうにもこうにも足掻きたくなる。昨日知ってしまった彼の新たな一面を、わたしだけにとどめて、大切に大切にできたら良いのに、と真顔で、真剣に、思ってしまう。


  大杉漣さんが亡くなった。父親が癌で休養中、初期のバイプレイヤーズを一気に見ていて、とても楽しかった。父親とは少し趣味が合わない同士ではあるが、共有できる部分を共有して時間を過ごすかけがえのなさのようなものを感じた気がした。だからこそ、その中のリーダー的存在である大杉漣さんの死去はわたしたち家族の中で、なんとなく、重たかった。もともと重い病気ではなく、突如としてこの世からいなくなるとは、どういうことだろうか。これこそが終りがなく、続き続けるような、そんなものなのだろうか。


 わたしには夢がある。それは、父と母が幸せになるような恋愛と結婚をすることだ。父と母に依存していると一蹴されればそれまでだが、わたしは父と母が大好きなので、大好きな人が喜んでくれるような選択が、わたしにとっての本当の喜びになってしまっていて、そこからどうにもこうにも逃れられないでいる。もちろん、そんなこと言ってないで自分の幸せを追い求めて行こうぜ、という意見もわかるし、わたしの親離れのできてなさは尋常ではないと思うが、わたしのこの感覚は必ずしも間違っていないと思っている。それは、両親の判断が、収入面とか学歴とかそういう他者から求められるような単純な基準によってなされるものではなく、「相手がわたしをしっかりと愛していて、わたしが相手を心から愛しているかどうか」という根本的な直感でされていると思えているからである。両親は、お互いを通して、また、わたしを通して愛することの大変さをいやというほど感じてきたからこそ、狂いのない直感を持ち合わせていて、その直感を通り抜けられるような相手でないと、わたしも結果的に幸せにはなれないと感じているのだ。

 

 いわれもない筋肉痛に気づいた時、あらららら?と幸せになって、それはそれでなんだか苦しい。