雪の日のつぎのひ


 きのうは雪が降っていて、ひきこもっていたのだけど、悶々と家でInstagramTwitterをみてると、さむいのにみんな元気そうで落ち込んだ。もともと体力と気力が備わってないわたしは決まって、こういう年に数回しかないイベントではしゃぐことができず、1日ゴロゴロして、夜中近くなると急激に「なんて面白みのない人間なんだ…」とワナワナする。

 毎年大晦日からお正月にかけて、今年こそは初詣して初日の出を拝んで、雰囲気のいい新年の写真を撮ったりしてキラキラインスタ女子の幕開けをするぞ!と心に誓うのだけど、誘ってくる友人もいなければ誘う気力もないのでそのままになり、お家でゾゾタウンとにらめっこしながら撮り溜めたお笑い番組を見るくらいしかできない。もちろん今年も例に漏れずそれで、あいかわらずだったが、2日以降は初売りや初詣や初亀や、いつもはひとりでふらふらしてしまう場面で隣に人がいたのでずいぶん楽しかった気がする。

 そんなわたしは昨日から今日にかけて卒論を書き終え、自由の身になった。パソコン音痴なので文字を書き連ねることよりも体裁を整えるほうが苦痛で、最後の方はほぼゼミの神様たちに任せきりだったが、これで卒業ができる。すごくすごく喜ばしいことで、実際に喜びすぎて自分へのご褒美に気になっていた洋服をまたポチってしまったのだけど、もう文字を書く必要がなくなったかと思うと途端にかなしくなった。

 思えばこの4年間、駄作も少し自信作も含めて、ひたすらに文字を打ち続けてきた。主にわたしはエッセイと小説の中間点みたいな中途半端で女臭いものを書き続けていて、その都度自分の中に溜まったウズウズとした感情を出していた。だから基本的にはお世辞にも綺麗な文章ではなく、自己陶酔とエグみと醜さを足して3で割ったようなものだったのだけど、わたしにとってはその排出が心地よく、一種の精神安定剤だった。最初は大好きな作家さんや、大好きな人たちの文体を寄せ集めて、自由気ままに気まぐれに書きなぐっていたものも、いつしか書き続けるほどに「どんなテーマの文章を書かせてもフチ子はフチ子だね」言われるようになった。

 これから社会人になって、一般人として普通に平凡に生きいきたいし、働いたことによって得たお金でお気に入りの服を買ってその服を着てディズニーを練り歩くことや、関ジャニ∞のコンサートに行くこと、突然の創作欲任せに刺繍に没頭することで幸せを感じていきたい。これからもそんな感じでゆるっと真面目にオタク気味に生きていきたいと思っている。そう生きたいのだけど、そのなかに4年間で培った寄せ集めのわたしの文体で、普通の中にある幸せやイラつきやドキドキや興奮やかなしみを書き殴るスペースが少しでもあるといいな、と思った。その場所としてのこのブログが、いつまで続くのかはわからないけどね。

 あやちゃんは2月になったらわたしと、「思慮深い女の子らしさを感じられる映画」にわたしを誘ってくれるらしい。さやかは2月になったらわたしと、「女性性を刺激される少々エロティックな名作映画」を見るためにお家に呼んでくれるらしい。まゆきちゃんは2月以降わたしと、「ファッション化したい物語とキャラクター」シリーズを展開させてディズニーざんまいの世界に連れて行ってくれるらしい。きっとまみは2月以降もわたしと、「可愛いけどおいしくないor可愛くないけどうまい料理を巡る旅」に連れ出してくれると思ってる。それだけじゃなくていろいろと、今も、いろんな感情が大きくなったりしぼんだり、あいかわらず忙しい。

 写真や色味のセンスが皆無のわたしは、これくらいしか記録できる媒体がない。だからフチ子、ひとりスタジオはじめます。